奄美大島風情 龍郷町赤尾木ぶらり

 今現在奄美大島龍郷町赤尾木に住んでいるのだが父母が同級生だったというのと近所同士だったということもあり、ここには親戚が多い。とはいえ、全国に散らばっている親戚の方がはるかに多いのだが。徳之島にいたころと違い、なかなか撮影探索の意欲が湧いて来ない。天気が悪かったり、寒かったりのせいだろうか?とりあえず足元からということで赤尾木を撮っていくことにしよう。はて、どこまでが赤尾木なのだろう?

 赤徳小学校と赤徳中学校がなんと同じ敷地内にある。両親が通ってた時はもちろんこんな立派な校舎はなかった。母の話では空襲で校舎は焼かれ青空教室で授業をしており、敷地はもっと広く真ん中に大きなセンダンの木があったそうだ。戦後兵舎を持ってきて校舎にしてたのだが暑かったのか、その後も外で授業が行われていた記憶が残ってるそうだ。当時は小学校のみで中学校は山を越えて2時間ほど歩いて通ってたのだとか。

読みにくいが"かしこく やさしく たくましく"と書かれている。

 母の記憶がだいたい合ってるようだ。明治17年って歴史あるなぁ。私は大阪の千里ニュータウンで育ったため学校の歴史なんてこれに比べればないに等しいなぁ。大阪の効率の小学校も中学校もどこの学校も似たような形状で奄美群島の学校の造形等を見るだけで学校にかけるその想いみたいなものが伝わってくる。

 徳之島も相撲が盛んであちこちに土俵があったりしたがこちらでも盛んなようで神社でも公民館でもさらに学校にもあるとなると赤尾木内で3つもあるのか。もしかして、他にもあるかも。

カトリック赤尾木教会。学校の近くにあり、叔母がクリスマスにお菓子目的で来てたとか。

教会敷地内にあるガジュマル(大)ほかに中サイズのガジュマルが2本ある

この穴から何か出てきそう

ここは隕石が落ちて出来たクレーターだという赤尾木湾

受信所の電波塔(戦時中に使用)。昔はもっとたくさん有り爆撃され穴が空いてるものもあったが危ないから撤去されたのだろう。この1本だけが昔から蔓が巻き付き緑になっていた。

新芽が出てこの緑のグラデーションが見る位置でまるでブロッコリー状に見える

赤尾木湾とは反対側の海岸、赤尾木は奄美大島の中で一番狭まってる所である。北側(赤尾木湾)と南側(母はひぎゃ《南のことらしい》の浜と言うが地図ではビラ・ビーチとなっていた)の距離は1kmもない。波の状況も違い2種類の海を楽しめる感じ。近くには最近パワースポットと呼ばれて観光客が来るハート形の潮溜りのハートロックがある。なんとなく便乗して撮るのを避けてしまっている。

岩場の潮溜りで撮ったものだが風があり波紋で魚にピントなんか会わないだろうと枚数多めにとったのだがどれもこれもピントが合ってる。恐るべし新カメラのAF性能。

youtu.be

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